頭のいいやつが腹立つ件について

やあお前たち!ところで、頭いいやつって腹立たしいよな!!自分が出来ない問題スラスラ解いてこんなの朝飯前とか言うやつ腹たたん?というか見かけるだけで腹たたん?そこで、今回頭のいい人間を見るとどうして腹が立つのか真面目に考えたぞ!

 

1、勉強以外の面では自分より劣っているから

精神面では上なのに〜ってなるよな、まあみんなどこか部分的には誰かには負けてるからさ。でも全部勝ちたいって思うよね。

2、頭のいい人間=万能というイメージがあるから

これマジで真理だろ、でもさ、誰も万能な人なんて居ないんだよ。

3、できた!という報告が自分のできない所を見せつけてくるように思ってしまう

別に見せつけてるつもりはないと思うんだけど。あなたという存在が俺に自分の劣ってる部分を強く自覚させるんだ。

4、謙遜のし過ぎ

できる人間って変に謙遜するよな。「マジこんなのも解けないの、ほんとに私人間じゃない」とか誇張して言う人間とか、それも解けないどころか下の下で這いつくばってる俺のような人がいることも分かれ、場によってはそれは嫌味。

 

これぐらいしか思いつけなかったわ、でも結構分かるって思うところあるんじゃない?

高校で勉強してて思ったのは、頭いい人間がひと握り居たとしても(その頭のいい人間の範囲や度合いにもよるが)、結構馬鹿が世界動かしてる感じすごくある。フェミニズムと言いながら自分の元々存在しない利益を主張してるフェミニズムもどきとか、そうじゃないか?フェミニズムもどきがフェミニズム界隈に良かれ悪かれ多大な影響を与えているように、馬鹿は天才の足を引っ張り、良かれ悪かれ影響を与えることが出来る。そういう点では、天才がひと握りいたってどうって事ないと思うのだ…本当に、良かれ悪かれね、だから、天才に腹立つ馬鹿と同様に天才もまた私たちに腹を立てているのだ…嫌なお互い様だなぁ…

ドラえもんを一瞬語る

やあお前たち!前の記事は読んだか?読んでない奴は読まなくていい。前回は嫌いなキャラクター、鉄腕アトムのアトムの話をしたが今回は好きなキャラクターのび太の話を一瞬する。

ドラえもんにおいては2013年までの映画作品をほぼ全視聴(2作品のみ未視聴)、ドラえもんの化学漫画を買い漁り、単行本も買い漁り、あるドラえもんの雑誌はほぼ全種買ったようなもんだ。私の頭の中にある教養と呼ばれるものの殆どがドラえもんの本や雑誌から来ている。勿論だが毎週ドラえもんのアニメを視聴し、ひみつ道具百科で読んだ情報と参照し、これはアニオリ、これは原作…等判別し、最近はアニオリにダメ出しを始めた。

ここであまりドラえもんに明るくない人達に説明をすると、実は原作ではのび太は「助けてドラえもん」とあまり言ってないのに、アニオリでは毎回のように言わせてるのがどうも気に入らないのだ。のび太出来杉、結婚するならどっちがいい?と聞かれ、出来杉と答えるヤツは間違いなくドラえもんアニオリの影響を受けている。私は絶対にのび太を選ぶ。何故なら出来杉はIQが高いがEQが低い。EQというのは他人とコミュニケーションを取って上手くやっていく力だが、少なくとも原作では、出来杉は勉強もスポーツもできて、それを褒められるとこんなものすぐ出来るよ簡単だよとかそういう事を言っちゃう人なのだ。それに比べてのび太は自分の力で出来なくても頑張ってやろうとしてやっぱり出来なくて1人で悔しくて泣いてしまう、そういう人なのだ。やはり、例に出すならピーナッツを空中でキャッチし食べるという特技を披露しようと思ってしずかちゃんの家に人を集めたが、皆スネ夫が呼ぶとそっちの家に行ってしまい、どうしようもなかったから1人でピーナッツを食べて平然と帰ってきたところだ(少し記憶が曖昧だから間違っていたらすまない)。あれを見て私は感動した。私は、怒っても泣いても悔しがっても仕方ない場面で、平然と笑ってるのび太が好きなのだ。

実はこれをアトムの話の後ろに引っつけようとしたのだが、アトムの話として始めたのにのび太の話に持ってくのはどうか悩み、結局分けることにした。懸命な判断だと思わないか?俺は思う。

じゃあまた!

(これもまた曖昧な記憶で書いてるので事実と異なるかもしれないけど、私の歪かもしれないけど幸せな記憶壊しに来なくていいのよ)

やあ!Johnsonだよ!

これを見つけた私の知人、友人たちはJohnsonがどこででもやっていけるという変な自信をつけてしまったのかと笑うかもしれないが、単純に大学受験でうるさくなってるお前らと嫌いな人間から逃げてるだけだから安心して欲しい。

初めましての人しかいない気がするが挨拶も馬鹿らしいので自分で私のことを適当に定義してくれ。私の友人もそうして生きてきた。

さて。特に言うことは何もないが…ここで終わるのも面白くないから、本当に特に言うことはないが、お前らがこいつ頭おかしいなと分かるぐらいのことを適当に喋ってやることにする。

突然だが、私の嫌いなものの話をしようと思う。そんなにヘイトをぶつけるような酷いものじゃないから安心して読んで欲しい。

何故か私の嫌いなものの中に鉄腕アトムのアトムがいる。理由は小学校1年生の時にアニメ版か映画版かは分からないが再放送をやっていて、あ、ここからネタバレ注意な、アトムが悪い人を止めに行った時に顔のパネルが剥がれて中身の基盤がむき出しになり、目は白く爛々と光ったTheロボットという風貌になった。もうこれだけで恐ろしいのに、なんとそのまま動いて自分は爆発に巻き込まれて死んだのだ!ロボットに死んだというのはおかしいかもしれないが、人のために死んだであろうアトムに敬意を表し、彼と表記させてもらう。

(あと申し訳ないことに、記憶が曖昧で変に混ざってるのか正しいストーリーをググろうとしても上手く出てこなかったので曖昧な記憶のまま書くことにする。大変済まない。)

話がズレたが。ともかく、私は人間の風貌をしたロボットがロボットと明確に分かったその瞬間を大変恐ろしく思い、それから嫌いなものを聞かれたら必ずアトムと答えるぐらい嫌いになった。

それだけで?と思うかもしれないのでもう一個言っておくと、公式YouTubeで配信されてる鉄腕アトムは2つほど観た。観たが、やはり怖い。人間に見えるものが突然ロボットだとわかる瞬間は本当に怖い。それだけじゃない、ロボットから人間のようになる、ただの無機質なロボットから我に返り人間のようになる瞬間もまた怖い。

やはり、アトム系のやつで1番平和に見れるのはアトムザ・ビギニングだ。あれはあまり恐ろしくなくて良い。最初からロボットだからなんの問題もない。人間になる瞬間もない。ただどの作品でも共通している、人間とは何か、感情を持ったロボットは人間になりうるのかというのが書かれているだけだ。しかし、どの作品よりもいちばん悲しいのが、アトム(アトムザ・ビギニング内ではA106:エーテンシックスと読む)がロボットだけど感情を持っていて、その上製作者も分からないような謎の信号を使えるが故に人間のように発語はできるものの色々な面でコミュニケーションが不十分だと感じ、わだかまりを感じている点だ。それが何とも悲しくて美しい。

さて、ここまでアトムが嫌いな理由を示してきたが…え?実はアトム別に嫌いじゃないだろって?いや、嫌いだ。何故かと言うとドラえもんと相対的に比べた時にドラえもんが好きすぎてアトムが地に落ちるからだ。

…兎に角、俺はアトムが嫌いだ。原作も少し知っているが、やはり、手塚治虫先生の描くものは本当に生々しくて恐ろしい。本当は、アトムが嫌いなんじゃなくて生々しくて怖いだけなのかもしれない。

じゃあ今回はこれで。

(曖昧な記憶で描いたから間違ってるかもしれないけど怒らないでね…)